双極性障害と私と人生

双極性障害を患って6年です。私の経験からこの病気について語っていきます。双極性障害を患っている方、患っていない人について知っていただけたらと思います。

紹介 おすすめする参考書

こんばんは ぼーのです。

2018年明けてから初の投稿ですね。遅ればせながら明けましておめでとうございます。

 

 最近は、復職へのリハビリを込めて図書館に通い、集中力を高めることを日課にしています。読んでいる本は、坂本龍馬が高校生時代から大好きでしたので、「竜馬がゆく」を読んでいます。でも、図書館には司馬遼太郎全集という分厚い本しか置いてないので、読むのに手こずりますが、本と向き合って心が癒されます。

 

医学的な本はもちろん読んでいます。

 

加藤忠史氏の「双極性障害躁うつ病)の人の気持ちを考える本(心ライブラリーイラスト版)

双極性障害(躁うつ病)の人の気持ちを考える本 (こころライブラリーイラスト版)

双極性障害(躁うつ病)の人の気持ちを考える本 (こころライブラリーイラスト版)

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 加藤氏が述べていたのは、診断されてからは、自分で情報収集をすることが良いことだそうです。病気について詳しく知り、対処をしていくということですね。

 また、この本は、患者視点、家族視点、会社や友人視点でできるアドバイスが書かれているので、双極性障害を患っている方の身近な存在の人は読んでみてください。

 

 あとは、とてもお世話になったキャリアカウンセラーさんから紹介頂いた水島広子氏の「対人関係療法で直す双極性障害 躁うつ病への対人関係・社会リズム療法」

 

対人関係療法でなおす 双極性障害

対人関係療法でなおす 双極性障害

ですね。

 

 

 水島氏は、昨今「認知行動療法」という療法に認知が深まれる中、日本では余り認知されていない「対人関係療法」というものについて詳しく述べています。本文で紹介されていますが、SRM(ソーシャルリズムメゾット)というその日に何があったかを記録するごく単純な手段を用いて、療法をおこなっていきます。

 

 加藤氏、水島氏は精神医学界では有名な方々ですので、是非、ご一読されることをオススメします。上記以外でも双極性障害についての本はありますので、探してみるのもいいと思います。

 

ただし、ネットの情報は引用元が曖昧であったり、他のサイトからただ単に引用されているものが多数ございますので、情報収集の際は、専門家が執筆している本を読まれることをお勧めします。

 

自分で情報を集めた上で、主治医と面談する際に「他の病気との併発はないか?」や、不安なことを相談するのがベストだと思います。

 

お近くの図書館にない場合は、図書館でのお取り寄せを注文することができるようなので、してみてください。また、金銭に余裕がある方は、是非、書店で手にとって読んでみて買われるのもいいですね。

 

 とにかく、やっと双極性障害について認知度が高まってきたからこそ、その病気について詳しく知っていかなければならないと個人的に思います。専門家に頼るのは当たり前ですが、結局は自分のことは自分が一番知っているので、知識をもとに回復を目指すのがベストだと思います。

 

 では、この辺で。

 

 ぼーの

第2章 私と双極性障害 〜小学校の仕事に就くまでと、就いてから〜

 こんにちは。ぼーのです。

 昨日のM-1グランプリは良かったですね!笑うと気持ちいい!!

 あと、純粋にとろサーモンの久保田を応援していたので、彼らが優勝した時は、本人と同じくらい信じられず、驚愕していました。笑

 

 さて、前回

第1章 私と双極性障害 〜自己紹介〜 - 双極性障害と私と人生

に引き続き、私の双極性障害について書いていきたいと思います。

 

 

1. はじめに 双極性障害でも小学校で働けるのか?

 

  そもそも、双極性障害を患いながら、小学校で働くことはできるの?」という疑問を抱く方がいらっしゃるかもしれません。

 結論から言うと、私個人の経験を踏まえた意見としては、「かなり厳しい」と思います。理由は双極性障害を患っている教師自身の感情の波が激しいと後々、子どもや保護者、職場の教職員に迷惑をかけてしまう恐れがあるからです。

 以前、Yahoo知恵袋で私自身がこのことについて質問した際、休職と復職を続けていけばいいと言うコメントをいただきました。(その質問サイトは消去しています)

 休職と復職を続けていく。それは、感情の波が激しく、体調にも出る双極性障害の患者にとってはある意味、1つの手段かもしれません。しかし、それをするには相当な勇気と忍耐と、自分をコントロールする力が必要です。

 うつ状態になっている時に仕事を休む、あるいは長期間休職をする。その間は自分以外の先生が、子どもの指導に入ります。子どもからすると、入れ替わりで色々な先生が指導してくるので、誰の言っていることを信じたらいいか分からなくなるでしょうし、子ども自身がストレスを抱きます。(気づけばその子が問題行動を起こしてしうことがあり得ます。)また、休職から復職した後は、休職している間の作業が山積みになっているでしょうし、それに加えて新たな行事に向けての作業などが入ってきますから、休職して英気を養ったとしても日々、山積みの業務に追われ、どんどん体と心が疲れ果てていき、また休職をせざるを得ない状況になってしまうでしょう。

 躁(そう)状態の時は、例え、自分では悪いと思っていなくても子どもに誤った指導をしてしまうことや暴言、社会倫理から外れた行動をとってしまうことが予想されます。その対象は子どもだけでなく、同じ職場の教職員や保護者になるケースもあるでしょう。そして後日、校長や教育委員会などから指導され、「何てことをしてしまったんだ」という罪悪感に襲われることになるかと思います。

 最初に私が厳しいと言ったのは、誰でもなく自分が、自分のせいで他者にたくさんの迷惑をかけてしまい、後々、自己嫌悪や罪悪感にかられ、負のサイクルに陥る可能性があると思うからです。(教職はとても責任がある仕事です。真面目な方がその仕事に就く割合が多いようです。そういった人に限って、人一倍罪悪感にかられると思います。自尊感情の喪失、最悪の場合は、自殺未遂に至ることが考えられます。)

 

 小学校現場で働いたことのある経験から言わせていただくと、「授業づくり(各教科の授業の準備やその教材の研究を行うこと)」はもちろん、「子どもの生育歴や家庭環境などの掌握、それらの書類の整理」その他にも校務分掌と言って、各先生に学校内でのあるポジションの責任運営を任されます。また、教科ごとに研究責任者が決められ、研究会がある場合はそこに出席し他校との意見交換を行います。

 授業が終わり、子どもが帰ったあと、教頭や校長、学年主任との打ち合わせを行う場合がありますし、保護者に電話連絡を行うことで時間を奪われてしまうことがあります。

 本来は「授業づくり」がメインなはずなのに、書類整理や上で述べたことなどの事務作業に追われてしまっているというのが現状です。そのため授業を思うように進められないなどといった苛立ちやストレス、疲労は抜群に増えます。(子どもたちは可愛いし、癒されますけどね)

 

 経験した側ですから言えますけど、もうね、何のために教員やってんだろ?ってなる時がいっぱいありましたよ。自分の体調のことを考える余裕がないし、いざという時に精神科・心療内科に行く時間が物理的に無いです。しかも、自分が精神疾患持ちを隠して学校現場に飛び込む訳ですから、葛藤がありました。

 

 しかし、「小学校でのお仕事」というのは様々ありますので失望はしないでください。免許を取得している方で採用試験に合格した人がなれる「教諭」や、産休、育休などで臨時的に採用してもらえる「講師」「非常勤講師」(どちらも免許が必要だと思います) 、 小学校教諭の免許を持っていなくてもできる「指導員」などが代表的な例です。これらは各自治体によって異なります。

 ですので、本気で小学校で働きたいと思ってらっしゃる方で、双極性障害や他の精神疾患を患っている方は、ご自身の体調、主治医と相談すると共に自分にあった役職、立場を狙うのが良いかと思います。個人的には、指導員から始めるのがオススメですね。それでもし、次のステップへ行けそうだなと感じたら、相談して決めるのが良いと思います。

 言っていることが矛盾するかもしれませんが、子どもたちと相対(あいたい)して教育を行うというのは、その子の可能性を引き出すということですから、素晴らしいことです。その先生しか表現できないことがあります。苦しい経験をしているからこそ、伝えられるものがあると思います。実は子どもは、そういう所に敏感です。

 しかし、何度も言いますが、感情の波が激しく厄介な病気なので、くれぐれも周囲や専門家と相談しながら決めることをオススメします。

 

 さて、経験をもとに持論をつらつらと書きましたが、ここからは体験談です。大学を卒業し、実際に双極性障害を患っている私が小学校での仕事についてからを書きます。

 本当は、退職してから「小学校教員にはならない!」と決断したところまでを書きたいのですが、とても長文になる予想です。書いている私はそうですが、読まれている方もしんどくなると思いますので、分けます。(笑)

 興味があれば、是非、次回の記事を読んでください。

 

 

2. 大学を卒業して地元に帰る

 この病気を発症したのが東京の大学在学中でした。東京では一人暮らしでしたね。首都圏範囲での就職も考えましたが、病気のことで大いに不安があり、地元の実家に帰って両親に支えてもらいながら就職する手を選びました。

 私は児童教育学科で学んでいました。小学校教諭免許を持っています。そのため、地元では小学校教員になる方向で活動していました。

 教員採用試験を受けなくても、各自治体では講師や非常勤講師、また特別な支援が必要な子ども(発達障害がある子どもや、学習に遅れがある子どもなど様々あります)への対応をする支援員や指導員などのお仕事が募集されています。

 私の場合、教員採用試験は受けておらず、(なぜ受けなかったのかは次回述べます)しかも病気の不安があったため、まずは「学校ボランティア」から始めることにしました。いわゆる、スモールステップです。少しずつ段階を踏んで行って体を慣れさせていこうというやり方です。

 

3. 地元の小学校でボランティア活動

 ボランティア活動の期間は約2ヶ月でした。内容は、日によって様々な学年のクラスに入り、担任の先生のサポートや、授業についていけてない子のサポートといったところです。当時は自動車学校に通っていたため、1日をボランティアで費やすのではなく、昼から、つまり子ども達が給食を食べ、お昼休みを終えた5、6時間目にボランティアに入っていました。

 ありがたいことに通常のボランティアに追加して、放課後には「学習フォローアップ」のアルバイトをさせていただきました。主に学習に遅れがある子ども達の宿題のサポートです。算数だと、子ども達がつまづきやすい計算や、単純に分からないところについて、僕が一緒になって教えるということをしていました。

 このことは毎回繰り替えして言うかもしれませんが、子どもに「教える」とか「指導する」以前に、子どもと触れ合うことはとても心が癒されます。子ども達は純粋なので、私が考えもしないような素朴な疑問を投げかけてきてくれたり、嬉しかったことを本当に嬉しそうに話すのです。もう、普通に会話しているだけで心はホッコリします。

 そう言う意味では、子どもと話したり一緒になって無邪気に遊ぶことは精神疾患の治療の一つといっても過言ではないと、僕は思います。

 ボランティア活動の期間が短かったため、大したことはできておりませんが、色々な学年の先生が働く姿と子ども達の姿を見ることができ、私が学校で働くことのイメージを改めて少し学べたと思います。

 ちなみにこの2ヶ月間は、幸いにも症状が悪化することはありませんでした。

 

4. 小学校の指導員に配属

 ボランティア期間中に自治体の方に、小学校の指導員で働けるように応募、登録をしておきました。双極性障害を患っていることは隠していました。)

 プライバシー保護のため詳しい年月を書くことはしませんが、教育委員会から採用の通知をもらいA小学校の指導員として働くことが決まりました。

 「指導員」の業務内容は主に「問題行動を起こす子どもへの対応」ですが、ぶっちゃけ、学校によって様々な業務内容があります。

 教育基本法地方公務員法などの法令に基づき、私は守秘義務を果たさないといけないため、A小学校で、〇〇な子どもと〇〇なやりとりをしたかについては、どこまで書いていいのか分からないです。

 ですので、内容についてはざっくりと箇条書きにします。

  • 勤務時間は8時20分〜15時35分までの子どもが学校にいる間。
  • クラスの中にずっといられない子どもへの対応。
  • 教員免許を持っているので、その子と学級以外での別室で、マンツーマンで各教科を教える。
  • そのクラスの担任の先生のサポート。

 

 本当は↑以外にも行いましたが、以上が書ける範囲です。

 

 もちろん、書きたいことは他にも山ほどありますよ。

 だって、学校の1日の中で私はその子といつもマンツーマンで行動していましたから。今、思い出しても良い思い出ばかりだったなぁとしみじみ。まぁ、問題行動を起こしてしまう子どもだったので体力的にしんどいことはあったけど、私が寄り添い続けた結果、私が配属される前よりその子の状態は落ち着いたそうです。嬉しかったしあの子といる時間は楽しかったなぁ。ほんと。

 

 

 ちっくしょー!本当の本当の本当に具体的な指導内容とかを書きたいけど、どこまで書いたらいいか、分からないから書けない!!ちっくしょーーー!!!笑

 

 それぐらい、この指導員での経験は濃かったのです。ありがたいことに教職員の方は話しやすい方ばかりで、とても助かりました。特に、クラスに馴染めなくて困っているその子どもは、精神疾患発達障害があるとまではいきませんでしたが、なんだか気持ちが分かるなぁと思い、その子に自然と寄り添えたのです。きっとその子は私の存在に安心感を抱いてくれていたのだと思います。

 

 症状のことはと言うと、この時期も寛解期で安定していました。主治医の指導のもと、安定剤リーマス錠と睡眠薬を飲みながら仕事に行っていました。きっと、緊張と緩和のバランスを自分の中で上手く扱えていたのでしょうね、睡眠も安定して取れていました。(次回以降でも述べますが、双極性障害患者にとって睡眠を取れるか取れないかは、命取りの問題です)

 大休憩や昼休憩に子ども達と鬼ごっこやドッジボールなどの遊びで体を動かしていたおかげで、私のストレスや精神的疲労を発散できていたのだと思います。ちなみに精神的疲労は、身体的疲労(運動、筋トレ、スポーツなど)によって改善されるそうですよ。私は今でも、軽く始めることができるウォーキングや簡単な筋トレを行い、ストレスを発散させて、暗い気持ちになるのを抑えています。

 

 

おっと、気がつけばもうこんな量ですね。

教育現場のことに関連してくると、気づかぬ間に熱がこもります。笑

 

この流れで次の項目を書きたいところですが、次回にお預けにします。

 ということで、小学校の仕事に就いてからの経験を書きました。

 最初の「双極性障害を患いながら学校での仕事はできるか」という所が今回の注目点かもしれません。

 

 

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

感想や要望、質問はコメント欄かsouutsu.tsukiau@gmail.comまでお願いします。

メールで送っていただく際は、迷惑メール対策のために件名とペンネームをつけていただければ幸いです。

 

 ではでは。

 

 

ぼーの

 

 

第1章 私と双極性障害 〜自己紹介〜

 初めまして。ぼーのです。

「自分らしくほのぼのと生きる」というテーマを基に「ぼーの」というニックネームにしました。

 

 皆さま「双極性障害」という病気をご存知でしょうか?

 おそらくこのブログを見てくださっている方は、実際にその病気を患っている方、または家族や友人、知人にその病気を患っている方がいらっしゃたり、「双極性障害について興味がある」と思って調べ、このブログにたどり着いたという方がほとんどだと思います。

 双極性障害は、現在の日本ではあまり認知されておらず、うつ病と勘違いされ治療が難航することがあるようです。アメリカの方が双極性障害についての認知度が高く理解を得やすいという記事を本で読んだことがあります。(正確な数値やデータがなくて申し訳ありません)

 

 このブログでは、私自身が双極性障害を患っている経験を通して、双極性障害について知ってもらいたい」「双極性障害と付き合いながら私はこう生きています」という情報を発信していければと思います。

 

 専門家ではないので抽象的な説明になることがしばしばあるかと思いますが、実体験に基づいたリアルなエピソードを紹介していきますので、是非、そこに着目していただけると幸いです。

 

 今回は私の自己紹介と、私の双極性障害の自己紹介をします。

 

  1.  私の自己紹介と現在の簡単な状態

 私は、26歳男性です。性格は真面目で温厚、優しいとよく言われます。血液型B型で、その特徴にありますが、マイペースです。あと、変な所にこだわりを持っていて、「他人と同じは嫌だ」という信念があります。笑 高校生の時くらいから、「ぼーのは感情の波が激しいんじゃないかな」とよく友人に言われていました。

 

 現在は無職です。違う章で詳しく述べたいと思いますが、大学を留年した後、小学校の指導員や、常勤講師、非常勤講師をしていました。それらは任期満了退職があれば、体調不良による自己都合退職もありました。失業中は、療養を行い、仕事に復帰できそうだなと思ったらまずは身近なバイトから初めていました。

 今は失業中ですが、特に仕事探しや就活などは行っていません。なぜなら、「シンプルにしんどいから」です。つまりは就活に当てる心のエネルギーが備わっていません。こういう時に無理して頑張っちゃうと、後で大きな反動を食らうということが予想されるので、あえてほのぼのと生きています。

 生活リズムが狂っており、am2時に寝てam10~12時の間に起きる生活が続いているので、主治医と相談し、まずは起きる時間を早めて生活リズムを改善することから始めています。

 昨日までは12時に起きていましたが今日は、10時に起き、その後洗濯を干してから30分ウォーキングをしました。朝、起きて何をするかという目的があると起きやすいなと実感しました。

 

 

 

  2.私の双極性障害の紹介 

 さてさて。ここからは、私の相棒である双極性障害について書いていきます。そもそも「双極性障害とは何か、や双極性障害についての詳細」などはについては省きます。専門家ではないので、しっかりとした知識を得てから、その力を借りて違う章で述べていきたいと思います。

 しかし、不満の声が聞こえてきそうなので、一般的な双極性障害の解釈をざっくりと説明をします。

  • 躁状態(健常な人と比べて気分がとても高揚になる状態)と鬱状態(気分がとても沈む状態)の二つを繰り返す病気。
  • うつ病(単極性鬱エピソード)とは違う。
  • 病的に気分が沈む時と気分が高揚する時がある。
  • 原因は解明されていない。
  • 現段階では完治はしないと言われている。つまり、一生付き合う病気である。
  • 気分の起伏が非常に激しい双極性障害Ⅰ型と、ある程度の落ち着いた期間はあるが気分が沈む、高揚する時期がある双極性障害Ⅱ型がある。

 

 発症は大学3年の秋から冬にかけての時でした。大学祭に向けて部活動を頑張っていたのですが、真面目に頑張っていた線がプツンと切れ、大学に行くことや人に会うことが億劫になり、引きこもりになりました。その時に友人の勧めで精神科に行きました。俗に言う「抑うつ状態」のような診断をもらい、しばらくは部活を休部し、あえて気楽に過ごしていました。そうです、私の場合はうつ状態から始まったのです。(個人差はありますが、双極性障害の発症は躁状態から始まる人と、うつ状態から始まる人の2パターンがあるようです)

 

 大学4年になり、寛解期(躁状態でもうつ状態でもない時期)が春の間は続いていました。しかし、梅雨の時期に入ると体調がおかしくなっていることに気がつきました。それは、風邪をひいたとか病弱になっているようなイメージではなく、とても活発的になっているということです。

 色んな人とお喋りする回数が増え、夜は寝る時間を割いて活動をしました。躁状態にありがちな症状として、「誇大妄想」がありました。私の場合は「グラミー賞をとって世界一になる!」などと根拠のない自信を色んな人に喋っていました。(注:根拠のない自信を持つことは決して悪くありませんし、夢を持つことは素晴らしいことです。症状の一例として挙げたまでです。)また、多額の音楽機器をローンで買い、借金を背負いました。このようにありとあらゆる欲望や衝動が普通の状態に比べて増していました。(躁状態でよく見られる症状)

 躁状態は厄介ですが、良い部分があると僕には思います。

躁状態の時は活発に行動しますが、その時の良かった印象として、友達に合わせたデザインを色紙に書きプレゼントをしたことや、友達の誕生日にオリジナルラップソングを書き録音して届け、喜んでもらえた経験があります。(ちゃんとしたデータは手元にありませんが、昔、ネットで調べた情報の記憶では、双極性障害を発症する人は、芸術的感性が優れている人が多いらしいです。)

 

 当時はフリースタイルラップのサイファー(ラッパー達で輪を囲み、即興で8小節や16小節のラップをしあう場のこと)やラップの深夜から早朝までのライブに行くことにどハマリしていました。ラップ自体は言葉を通して、自己表現ができる素晴らしい芸術ということがあってか、周りに対してあまり文句や批判、自分の意見を言わなかった過去の自分からするととても魅力的でした。「普段なかなか言えないことをラッパーの仲間達の中では言いたいことをぶちまける」ことが自分の中でストレスの発散になっていたんだと思います。

 しかし、夜から深夜の活動、また、深夜から早朝にかけての活動は、私の自律神経と生活リズムを狂わせていたようです。当時の梅雨の時期は一週間寝れない日が続きました。梅雨の時期で、雨が降り止まない中、夜は布団の中で「なぜ眠れないんだろう?」と思いながら、何度も泣きながら朝を迎えるという生活が一週間続きました。

 

 「自分では病気なのかわからない」「一過性のものだろうから気にしないでおこう」「いや、でも一応、病院に行った方がいいんじゃないか?」「でもなんて説明すればいいんだ?」「やっぱり病院に行かなくても今は楽しいからいいや(←今だから分かりますが、完璧な躁状態の時の感情です)などと色んな感情が現れていましたが、結局、大学に併設されている学生相談室カウンセリングに行きました。そのカウンセラーさんから同じく大学に併設されてある保健センターのプチ心療内科を紹介され、そのプチ心療内科で、ようやく正式な心療内科への紹介状をもらいました。カウンセラーとプチ心療内科では、「人には感情の波があるけど、それが大幅に揺れる病気がある」と説明をうけましたが、躁状態だった私は、いまいち何のことか分かりませんでした。

 一般的に躁状態に多いケースとして、後から躁状態のことを振り返ろうとしても記憶が薄れていることが多いようです。そりゃ一週間も寝てなかったら記憶がおかしくなるのは当然だと思います。(この記事を書いている間、記憶を遡ろうと努力しまくっています。笑)

 

 

 

 診断は、当然「双極性障害」。(しかし、現在に到るまでⅠ型かⅡ型なのかちゃんと診断してもらっていないので今度、主治医に聞いて見ます。)診断を受けてからもやはり、意味がわかりませんでした。不眠が一週間続いたということで、当時は睡眠薬ロヒプノールを処方されたのを覚えています。睡眠薬のおかげで不眠は治りました。

 躁状態だったせいで、大学の授業に出ず、単位が足りないことから母と教授に相談し、大学を留年することにしました。

 

 大学4年の後期から留年して5年目の間は躁状態になることはなかったのですが、うつ状態になった時があったので、主治医と相談して、本格的に双極性障害の治療を進めることにしました。リーマス錠(双極性障害の患者さんによく使われる気分安定剤)という、気分の抑揚を一定にコントロールする薬を処方されました。

 

 気分が落ち込んで授業に出れない日がありましたが、教授に単位をもらえるよう相談し、最終的にはなんとか、大学を卒業できました。

 

 しかし、大学を卒業してから私の双極性障害さんが私に厄介なことをしでかすことをその時は知りませんでした。

 

 

 

 

 ここまで読んでいただきありがとうございます。初のブログですので、至らないところがあるかと思いますが、何か感想やご要望、質問などあれば、是非コメント欄にお願いします。

 コメント欄ではなく、個人的に連絡を取りたいという方はこちらsouutsu.tsukiau@gmail.comまで送っていただけると嬉しいです。

 メールで送っていただく際は、件名とペンネームをつけていただけるとありがたいです。

 

 

 率直に思ったのですがブログって書くのが大変ですね。パソコンと睨めっこしていると目が痛くなります。笑

 

 次回は、大学を卒業してから小学校現場で働く事を辞めるのを決めたことを書きたいと思います。

 

12月に入り、体も心も冷えてきますよね。良い対処法はあまり紹介できませんが、お風呂上がりのストレッチは体も心もホッとすると思います。

どうかお身体にお気をつけください。

 

ではでは。

 

ぼーの