双極性障害と私と人生

双極性障害を患って6年です。私の経験からこの病気について語っていきます。双極性障害を患っている方、患っていない人について知っていただけたらと思います。

第2章 私と双極性障害 〜小学校の仕事に就くまでと、就いてから〜

 こんにちは。ぼーのです。

 昨日のM-1グランプリは良かったですね!笑うと気持ちいい!!

 あと、純粋にとろサーモンの久保田を応援していたので、彼らが優勝した時は、本人と同じくらい信じられず、驚愕していました。笑

 

 さて、前回

第1章 私と双極性障害 〜自己紹介〜 - 双極性障害と私と人生

に引き続き、私の双極性障害について書いていきたいと思います。

 

 

1. はじめに 双極性障害でも小学校で働けるのか?

 

  そもそも、双極性障害を患いながら、小学校で働くことはできるの?」という疑問を抱く方がいらっしゃるかもしれません。

 結論から言うと、私個人の経験を踏まえた意見としては、「かなり厳しい」と思います。理由は双極性障害を患っている教師自身の感情の波が激しいと後々、子どもや保護者、職場の教職員に迷惑をかけてしまう恐れがあるからです。

 以前、Yahoo知恵袋で私自身がこのことについて質問した際、休職と復職を続けていけばいいと言うコメントをいただきました。(その質問サイトは消去しています)

 休職と復職を続けていく。それは、感情の波が激しく、体調にも出る双極性障害の患者にとってはある意味、1つの手段かもしれません。しかし、それをするには相当な勇気と忍耐と、自分をコントロールする力が必要です。

 うつ状態になっている時に仕事を休む、あるいは長期間休職をする。その間は自分以外の先生が、子どもの指導に入ります。子どもからすると、入れ替わりで色々な先生が指導してくるので、誰の言っていることを信じたらいいか分からなくなるでしょうし、子ども自身がストレスを抱きます。(気づけばその子が問題行動を起こしてしうことがあり得ます。)また、休職から復職した後は、休職している間の作業が山積みになっているでしょうし、それに加えて新たな行事に向けての作業などが入ってきますから、休職して英気を養ったとしても日々、山積みの業務に追われ、どんどん体と心が疲れ果てていき、また休職をせざるを得ない状況になってしまうでしょう。

 躁(そう)状態の時は、例え、自分では悪いと思っていなくても子どもに誤った指導をしてしまうことや暴言、社会倫理から外れた行動をとってしまうことが予想されます。その対象は子どもだけでなく、同じ職場の教職員や保護者になるケースもあるでしょう。そして後日、校長や教育委員会などから指導され、「何てことをしてしまったんだ」という罪悪感に襲われることになるかと思います。

 最初に私が厳しいと言ったのは、誰でもなく自分が、自分のせいで他者にたくさんの迷惑をかけてしまい、後々、自己嫌悪や罪悪感にかられ、負のサイクルに陥る可能性があると思うからです。(教職はとても責任がある仕事です。真面目な方がその仕事に就く割合が多いようです。そういった人に限って、人一倍罪悪感にかられると思います。自尊感情の喪失、最悪の場合は、自殺未遂に至ることが考えられます。)

 

 小学校現場で働いたことのある経験から言わせていただくと、「授業づくり(各教科の授業の準備やその教材の研究を行うこと)」はもちろん、「子どもの生育歴や家庭環境などの掌握、それらの書類の整理」その他にも校務分掌と言って、各先生に学校内でのあるポジションの責任運営を任されます。また、教科ごとに研究責任者が決められ、研究会がある場合はそこに出席し他校との意見交換を行います。

 授業が終わり、子どもが帰ったあと、教頭や校長、学年主任との打ち合わせを行う場合がありますし、保護者に電話連絡を行うことで時間を奪われてしまうことがあります。

 本来は「授業づくり」がメインなはずなのに、書類整理や上で述べたことなどの事務作業に追われてしまっているというのが現状です。そのため授業を思うように進められないなどといった苛立ちやストレス、疲労は抜群に増えます。(子どもたちは可愛いし、癒されますけどね)

 

 経験した側ですから言えますけど、もうね、何のために教員やってんだろ?ってなる時がいっぱいありましたよ。自分の体調のことを考える余裕がないし、いざという時に精神科・心療内科に行く時間が物理的に無いです。しかも、自分が精神疾患持ちを隠して学校現場に飛び込む訳ですから、葛藤がありました。

 

 しかし、「小学校でのお仕事」というのは様々ありますので失望はしないでください。免許を取得している方で採用試験に合格した人がなれる「教諭」や、産休、育休などで臨時的に採用してもらえる「講師」「非常勤講師」(どちらも免許が必要だと思います) 、 小学校教諭の免許を持っていなくてもできる「指導員」などが代表的な例です。これらは各自治体によって異なります。

 ですので、本気で小学校で働きたいと思ってらっしゃる方で、双極性障害や他の精神疾患を患っている方は、ご自身の体調、主治医と相談すると共に自分にあった役職、立場を狙うのが良いかと思います。個人的には、指導員から始めるのがオススメですね。それでもし、次のステップへ行けそうだなと感じたら、相談して決めるのが良いと思います。

 言っていることが矛盾するかもしれませんが、子どもたちと相対(あいたい)して教育を行うというのは、その子の可能性を引き出すということですから、素晴らしいことです。その先生しか表現できないことがあります。苦しい経験をしているからこそ、伝えられるものがあると思います。実は子どもは、そういう所に敏感です。

 しかし、何度も言いますが、感情の波が激しく厄介な病気なので、くれぐれも周囲や専門家と相談しながら決めることをオススメします。

 

 さて、経験をもとに持論をつらつらと書きましたが、ここからは体験談です。大学を卒業し、実際に双極性障害を患っている私が小学校での仕事についてからを書きます。

 本当は、退職してから「小学校教員にはならない!」と決断したところまでを書きたいのですが、とても長文になる予想です。書いている私はそうですが、読まれている方もしんどくなると思いますので、分けます。(笑)

 興味があれば、是非、次回の記事を読んでください。

 

 

2. 大学を卒業して地元に帰る

 この病気を発症したのが東京の大学在学中でした。東京では一人暮らしでしたね。首都圏範囲での就職も考えましたが、病気のことで大いに不安があり、地元の実家に帰って両親に支えてもらいながら就職する手を選びました。

 私は児童教育学科で学んでいました。小学校教諭免許を持っています。そのため、地元では小学校教員になる方向で活動していました。

 教員採用試験を受けなくても、各自治体では講師や非常勤講師、また特別な支援が必要な子ども(発達障害がある子どもや、学習に遅れがある子どもなど様々あります)への対応をする支援員や指導員などのお仕事が募集されています。

 私の場合、教員採用試験は受けておらず、(なぜ受けなかったのかは次回述べます)しかも病気の不安があったため、まずは「学校ボランティア」から始めることにしました。いわゆる、スモールステップです。少しずつ段階を踏んで行って体を慣れさせていこうというやり方です。

 

3. 地元の小学校でボランティア活動

 ボランティア活動の期間は約2ヶ月でした。内容は、日によって様々な学年のクラスに入り、担任の先生のサポートや、授業についていけてない子のサポートといったところです。当時は自動車学校に通っていたため、1日をボランティアで費やすのではなく、昼から、つまり子ども達が給食を食べ、お昼休みを終えた5、6時間目にボランティアに入っていました。

 ありがたいことに通常のボランティアに追加して、放課後には「学習フォローアップ」のアルバイトをさせていただきました。主に学習に遅れがある子ども達の宿題のサポートです。算数だと、子ども達がつまづきやすい計算や、単純に分からないところについて、僕が一緒になって教えるということをしていました。

 このことは毎回繰り替えして言うかもしれませんが、子どもに「教える」とか「指導する」以前に、子どもと触れ合うことはとても心が癒されます。子ども達は純粋なので、私が考えもしないような素朴な疑問を投げかけてきてくれたり、嬉しかったことを本当に嬉しそうに話すのです。もう、普通に会話しているだけで心はホッコリします。

 そう言う意味では、子どもと話したり一緒になって無邪気に遊ぶことは精神疾患の治療の一つといっても過言ではないと、僕は思います。

 ボランティア活動の期間が短かったため、大したことはできておりませんが、色々な学年の先生が働く姿と子ども達の姿を見ることができ、私が学校で働くことのイメージを改めて少し学べたと思います。

 ちなみにこの2ヶ月間は、幸いにも症状が悪化することはありませんでした。

 

4. 小学校の指導員に配属

 ボランティア期間中に自治体の方に、小学校の指導員で働けるように応募、登録をしておきました。双極性障害を患っていることは隠していました。)

 プライバシー保護のため詳しい年月を書くことはしませんが、教育委員会から採用の通知をもらいA小学校の指導員として働くことが決まりました。

 「指導員」の業務内容は主に「問題行動を起こす子どもへの対応」ですが、ぶっちゃけ、学校によって様々な業務内容があります。

 教育基本法地方公務員法などの法令に基づき、私は守秘義務を果たさないといけないため、A小学校で、〇〇な子どもと〇〇なやりとりをしたかについては、どこまで書いていいのか分からないです。

 ですので、内容についてはざっくりと箇条書きにします。

  • 勤務時間は8時20分〜15時35分までの子どもが学校にいる間。
  • クラスの中にずっといられない子どもへの対応。
  • 教員免許を持っているので、その子と学級以外での別室で、マンツーマンで各教科を教える。
  • そのクラスの担任の先生のサポート。

 

 本当は↑以外にも行いましたが、以上が書ける範囲です。

 

 もちろん、書きたいことは他にも山ほどありますよ。

 だって、学校の1日の中で私はその子といつもマンツーマンで行動していましたから。今、思い出しても良い思い出ばかりだったなぁとしみじみ。まぁ、問題行動を起こしてしまう子どもだったので体力的にしんどいことはあったけど、私が寄り添い続けた結果、私が配属される前よりその子の状態は落ち着いたそうです。嬉しかったしあの子といる時間は楽しかったなぁ。ほんと。

 

 

 ちっくしょー!本当の本当の本当に具体的な指導内容とかを書きたいけど、どこまで書いたらいいか、分からないから書けない!!ちっくしょーーー!!!笑

 

 それぐらい、この指導員での経験は濃かったのです。ありがたいことに教職員の方は話しやすい方ばかりで、とても助かりました。特に、クラスに馴染めなくて困っているその子どもは、精神疾患発達障害があるとまではいきませんでしたが、なんだか気持ちが分かるなぁと思い、その子に自然と寄り添えたのです。きっとその子は私の存在に安心感を抱いてくれていたのだと思います。

 

 症状のことはと言うと、この時期も寛解期で安定していました。主治医の指導のもと、安定剤リーマス錠と睡眠薬を飲みながら仕事に行っていました。きっと、緊張と緩和のバランスを自分の中で上手く扱えていたのでしょうね、睡眠も安定して取れていました。(次回以降でも述べますが、双極性障害患者にとって睡眠を取れるか取れないかは、命取りの問題です)

 大休憩や昼休憩に子ども達と鬼ごっこやドッジボールなどの遊びで体を動かしていたおかげで、私のストレスや精神的疲労を発散できていたのだと思います。ちなみに精神的疲労は、身体的疲労(運動、筋トレ、スポーツなど)によって改善されるそうですよ。私は今でも、軽く始めることができるウォーキングや簡単な筋トレを行い、ストレスを発散させて、暗い気持ちになるのを抑えています。

 

 

おっと、気がつけばもうこんな量ですね。

教育現場のことに関連してくると、気づかぬ間に熱がこもります。笑

 

この流れで次の項目を書きたいところですが、次回にお預けにします。

 ということで、小学校の仕事に就いてからの経験を書きました。

 最初の「双極性障害を患いながら学校での仕事はできるか」という所が今回の注目点かもしれません。

 

 

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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 ではでは。

 

 

ぼーの